2015年6月22日月曜日

久しぶりのLee Wiley

つたないコレクション SPアルバム。Kittyちゃんは現代もの。
LEE WILEY songs songs by Harold Atlenはなかなか世の中に出てこない。音質はリバティのがノイズが少なくて聞きやすい。


 時代は新しくなって、10インチの時代。SPアルバムの4枚が1枚に収まる。おんなじリバティで出ていたコールポーターのほうは見当たらない。某所で赤盤とかあるのを読んだ。電気にかざすと、2枚が赤色をしていた。


EPは4枚入り。出しているのはコロンビア。日本が焼け野原になったころ、チェンジャーが全盛になった時期なんだろう。


 このマッハッタンで、Leeの全盛はピークを越えたような気がする。紫のジャケットのレコードのレーベルの外に刻まれたのが1Aと1A、うすい色のほうが1Bと1Fなので、紫が初盤なのだろうか。


 このころまで、歌も楽器も同等な立場だったような気がする。ボカロが楽器であるのと同じ思想。。。でもないか。
 楽器の演奏と歌が入れ替わり立ち替わり入れかわる。たぶん、この後のガス灯があるアルバムは、1回聞いてお蔵入り。楽器の演奏が伴奏の立場になっていたから。

 ジャズは黒人の音楽、って本当なのだろうか。ガチャガチャといっていた時代から、フュージョンというjazzとはまったく異なる音楽が出始める間の期間、jazzを醸し出していた多くは白人というかアメリカ人だった。

 リバティミュージックがレコードを出した1939年、40年は第2次世界大戦前夜の時期だったはず。参戦した後アメリカというかベル研はレーダの開発に多くの人材を割いていた。導波管とかの技術が、そして高出力のパルスを出せる送信管が、ベル研の製造部門であるウェスタンエレクトリックでどんどん作られていた。

 時代は新しくなり、イージス艦にアクティブフェーズドアレイのレーダーが積まれているが、その時代の遺産。重いので、船にしか積めない。

 16Kbitとかのメモリの全盛の時代、日本の半導体はこの世の春を謳歌していた。今は昔、三菱、富士通、東芝はGaN HEMTのミリ波のパワーFETを作っている。これがあって初めて、飛行機にアクティブフェーズドアレイのレーダーがつめた。
 一度に数百のターゲットを認識するとロックし、ずっと追い続けられる。マクロス7やガンダムの世界だ。
 ものすごいFPGAやマイコンのプログラミングだ。
 哨戒機P3Cの後継であるP1には4セット積まれていて、360度を常時スキャンしているそな。どんなCIC室なんだ。まるで、タクティカルノアを実現したみたいな。
 

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